
平成17年10月、前年の7.13水害の復興行事である熾盛(しせい)祭内のイベントとして開催したミニオリエンテーリングのために作成されました。
《記念碑より》
…中世の越後を二分する応永の大乱(1423年)をはじめ、越後の戦乱のたびにこの城が攻防の中心となった。その後、河道の変化で河欠けとなり、江戸時代の始めの元和二年(1616年)、現三条小学校周辺に移城を余儀なくされた。
またこの場所は三条競馬場の跡地で、地図をご覧いただくと分かる様に今でも馬場(走路)はそのまま残っています。かつては馬場の内側は全面畑で、白い木製のらち(競馬用の柵)とともに三条競馬の名物として全国の地方競馬ファンに知られていました。三条競馬場は2001年8月に最後のレースを迎え、翌年1月に新潟県競馬は60年あまりの歴史に幕を閉じました。
平成17年10月 縮尺1:3,000、等高線間隔2m。
調査・作図:藤島由宇



